2010-01-01から1年間の記事一覧

ある晴れた日に漱石のお墓に行ってきた

正面から見た漱石のお墓 裏側はこんな感じ ちょっと前の日曜日、行き付けの東池袋の豊島区立中央図書館に寄ったついでに、ふと雑司ケ谷霊園にある夏目漱石大先生のお墓参りをしてきた。 その日はとてもいい天気で、まだ五月だというのに歩いていると汗だくに…

「仕事をする」=「サラリーマンになる」という物語

最近本当に仕事が退屈だ。もちろんその責任の多くは僕自身のふがいなさにある。たとえば何か新規事業の提案を上にあげて、自らその責任者的な立場に就任できたりすれば俄然やる気が出るのだろうが、そんな気力はない。 甘えといわれようが情けない男だと罵ら…

アクティビストの不在

いつの時代だって最強の人間っていうのは頭の出来が良い奴でも容姿がいけてるやつでなく、いわゆる楽天家という人種だ。 こういう人たちというのは、決して自分の不幸やネガティブな要素を自覚していないわけではない。全てを折り込んだうえで、まだ前向きさ…

マスメディアの崩壊と脱・テンプレ化。そして自由に生きるということ。

世間にはたくさんの「テンプレ」がある。たとえば挨拶のようなものがその最たる例だろう。 朝、職場で「おはようございます」といわれれば機械的に「おはようございます」と返す。帰りにタイムカードを打つときにはそれが「お疲れ様です」となる。 メールの…

21世紀は日本がもっとも苦手とする時代

どれだけ不況や「失われた時代」が続いても、いまだに日本=裕福というイメージが「かろうじて」流通し、それを多少なりとも誇らしく思えているのは、高度経済成長やバブルを経験した世代の人々がまだギリギリ現役で、彼らの抱く幻想がまだ社会の主流である…

 「子孫ばれ」について

ブッシュ政権の末期にどこかでこんな記事を読んだ気がする。「もしブッシュが若いときにYouTubeがあったら奴は大統領にはなれなかっただろう」 これは要するに、「奴はオツムが弱いからきっと自分のとったろくでもない行動なんかをYoutubeにあげてたり、あげ…

実存の問題をシステムや他者が解決することはできない

たまたま最近読んだ本の『経済成長って何で必要なんだろう』(SYNODOS READINGS)の中で、飯田泰之氏が「貧困は政策によって救える。ただし、個人の実存の問題に対して国家はどうすることもできない」的なことを言っていて、まあ言われてみれば当たり前のこと…

考えて書くんじゃなく、書いてから考える

最近完全にブログの更新をさぼっていた。いかん。 いろいろなことが一段落して、これからは読書したり映画をみたり何かを考える時間がキープできそうだからまた再開する。そして短くてもいいからできるだけ毎日書く。 もともと、見たり聞いたり読んだりした…

電子書籍はニコ動化し、紙の書籍は孤独に楽しむ

電子書籍はこのサービスでブレイクする!? こんなものが発表された。 このサービスが主流になるかは別としても、電子書籍というものが一般化するためには、どうしたって「ソーシャル化」する必要があると思う(特に日本においては)。 いってしまえば「バーチ…