魅力的な人たち、そうでない人たち

 社会に出てみて一番驚いた、というか意外だったのは、世の中には魅力的な人々がたくさんいるということだ。考えてみれば当たり前のことなのだが、今よりももっと若い頃には「社会人」という存在から連想されのは、保身、金の亡者、みたいな、今思えば完全に中二病的ステレオタイプな見方でしかなかった。

「魅力」という概念は多分に相対的なものであり、人それぞれ他人のどういうところに魅力を感じるか、というのは千差万別だろうけど、僕の場合、前回のエントリでも書いたように、「地に足の着いた、余裕のある人」にどうしても惹かれてしまう。

 余裕がある状態では、人は自己を相対化することができる。そしてユーモアとはそうやって自己を絶対化せず、突き放して見ることができる人間だけが持つことができる。例えば、自分の恥ずかしい過去の行いや、現在の行き詰った状況を茶化してみたり。自分を絶対化し、世界を見渡すときの視点が全て自分から出発しているような者にはそういうユーモアを持つことができない。世の中には魅力的な人たちがたくさんいるのと同時に、そういうプライドの塊のような輩も同時にたくさん存在している。

 ただし僕の少ない経験から言うと、仕事などで目に見える結果を残す人の多くは後者、つまりプライドの塊のような自己中心的タイプの人間が多いような気がする。彼らの多くは上昇志向の持ち主だし、仕事に対する責任感に溢れている。

 でもそういう人たちがさらに上の段階に進むためには、結局のところ「余裕のある人間」、つまり自分を笑う度量を身に着ける他ないんだろうとも思う。
 そうじゃないと人がついて来ませんからね。