アクティビストの不在

 いつの時代だって最強の人間っていうのは頭の出来が良い奴でも容姿がいけてるやつでなく、いわゆる楽天家という人種だ。

 こういう人たちというのは、決して自分の不幸やネガティブな要素を自覚していないわけではない。全てを折り込んだうえで、まだ前向きさをキープできるのだ。

孫正義、【志】を語る。「孫正義 LIVE 2011」書き起こし

 ということを、この孫正義さんのスピーチのテキストを読んでおもった。
 (ustreamの動画配信は終了してしまった模様)

 本当は自分がのっぴきならない状況に置かれているのに、それを自覚するだけの知性と敏感さが欠如しているが故に、ただ楽しそうにへらへら笑っているだけの人たちというのはたくさんいる。
 でもそういう人たちが、いざ自分の置かれているのっぴきならない状況に直面せざるをえなくなったときにも、同じようにへらへら笑っていられるかどうかは疑問だ。その多くは問題に直面して初めて慄然とするのだろう(自分含む)。

 一般的に、人間は知識が増えるにしたがって不幸になるんじゃないか、と思う。いや、もうちょっと正確にいえば、少なくとも何も知らなかった頃のように無邪気ではいられなくなる。知識というのは、どうしたって俯瞰的な視点を生んでしまうから。冷静に俯瞰的に眺めれば、この世の中なんて本当につまらない、クソみたいなことで溢れているに決まっている。そんなことは全く自明のことだ。

 孫さんほどの人物になれば、それこそたくさん経験や知識を所有しているはずだと思うのだが、この人の凄いところは、決して斜め上視線で物事を眺めたり、単なる傍観者にならず常にポジティブさを失わないアクティビストでいられることだ。

 今この国には、小利口で他人の欠点ばかりに目がいくような傍観者が溢れている(それが時に洗練された文化を生み出す土壌となることは否定しない)。

 そして、孫さんが帰化日本人であるという事実が、なんだかとっても象徴的な気がする。